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病が奪いされなかったもの

北の大地より一羽の若鷲が大空に向かって飛び立つ。

これは今は亡き祖父が贈ってくれた旅立ちの詩である。新しい春に咲く桜花は人生の移り変わりを想わせる。大学合格の知らせとともに、祖父の大腸にガンが見つかった。志を立て故郷を離れたものの、祖父の死が頭をよぎるたびに目の前がぼやけた。家族からの電話が鳴っても出られない。時計の秒針がチクタクと進むことが怖くてたまらなかった。

その時は突然やってきた。午前4時に母親からの着信。すべてを知るには、それだけで十分だった。胸の奥で眠っていた赤子が大声をあげて泣き出す。受話器の先にはもう祖父のいない世界があった。いつの日にか、新しい家を買ってあげたかった。いつの日にか、旅行に連れていってあげたかった。そして、いつの日にか、また一緒に暮らしたかった。

飛行機の窓から白い雲の絨毯と青空を見つめながら、私は祖父と過ごした23年間を思い返していた。過ぎ去ってみるとアッという間だった喜怒哀楽の日々。最後に交わした会話は町内会の挨拶が下手くそだったことを厳しく怒られた。人の前で話をするときは皆が聞きやすいようにユーモアを込めて、はっきりとわかりやすい言葉を選びなさい。私はムスッとして無言のまま自宅に戻った。

悲しいはずなのに、永遠の一瞬が詰まった記憶の箱を開けてみると不思議と温かい気持ちに包まれていく。そして、これまでは「祖父のため」に思っていたことが「祖父のおかげ」で頑張れるようになっていたことに気がついた。

「恩」は因に心と書く。こうして、今の自分があるのは誰のおかげなのか。その答えにたどり着いた時、愛する人との別れを惜しむ心に沈んでいた「ありがとう」が浮かび上がってきた。悲しみは悲しみのままだったけれども、決してそれだけではなかった。私は流れる涙に感謝を込めて、祖父の最後を見届けた。

あれから5年の月日が流れて、私は祖父の闘病日記をみつけた。一ページ、また一ページとめくっていく度に、アラビア文字顔負けの走り書きとなっていく。最後のページには「わしのガンは治らなかったが、わしはガンに負けなかった。」と綴られていた。葛藤の足跡が導いた最後の結論。3年間に及ぶガンとの真剣勝負は祖父の逆転勝利に終わったようだ。

健康は失われて初めて、そのありがたみに気づくという。しかし、人間であれば誰もが年齢を重ねて、何らかの病を患うことは自然の摂理。とりわけ、高齢社会の成熟化に伴って、私たちの文明は否応なしに生老病死と向き合わざるをえないだろう。病が奪いされなかったもの、それは祖父の人生に対する真摯な態度であった。 アウシュビッツ収容所で絶望の淵を過ごしたオーストリアの精神科医ヴィクトール・E・フランクル。彼の名著『夜と霧』には次のような一節がある。

あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である” 
 

心の自由を奪うのは同じ心であって病それ自体ではない。仮に、病が次々と心を不自由に追いやったとしても、最後まで奪い去れない確かなものに光が当てられたとき、人は病を超えて人生を謳歌できるのかもしれない。